まん中から割って、忘れな草の簪《かんざし》をさした、鼻の少し上を向いているお君さんは、クリイム色の肩掛をちょいと顋《あご》でおさえたまま、片手に二束八銭の葱を下げて立っている。あの涼しい眼の中に嬉しそうな微笑を躍らせながら。
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とうとうどうにか書き上げたぞ。もう夜が明けるのも間はあるまい。外では寒そうな鶏《にわとり》の声がしているが、折角《せっかく》これを書き上げても、いやに気のふさぐのはどうしたものだ。お君さんはその晩何事もなく、またあの女髪結《おんなかみゆい》の二階へ帰って来たが、カッフェの女給仕をやめない限り、その後《ご》も田中君と二人で遊びに出る事がないとは云えまい。その時の事を考えると、――いや、その時はまたその時の事だ。おれが今いくら心配した所で、どうにもなる訳のものではない。まあこのままでペンを擱《お》こう。左様《さよう》なら。お君さん。では今夜もあの晩のように、ここからいそいそ出て行って、勇ましく――批評家に退治《たいじ》されて来給え。
[#地から1字上げ](大正八年十二月十一日)
底本:「芥川
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