来一旦落命致し候上、蘇生仕り候|類《たぐひ》、元より少からずとは申し候へども、多くは、酒毒に中《あた》り、乃至は瘴気《しやうき》に触れ候者のみに有之《これあり》、里の如く、傷寒の病にて死去致し候者の、還魂《くわんこん》仕り候|例《ためし》は、未嘗《いまだかつて》承り及ばざる所に御座候へば、切支丹宗門の邪法たる儀此一事にても分明《ぶんみやう》致す可く、別して伴天連当村へ参り候節、春雷頻に震ひ候も、天の彼を憎ませ給ふ所かと推察仕り候。
猶《なほ》、篠《しの》及娘|里《さと》当日|伴天連《ばてれん》ろどりげ[#「ろどりげ」に傍線]同道にて、隣村へ引移り候次第、並に慈元寺《じげんじ》住職日寛殿計らひにて同人宅焼き棄て候次第は、既に名主塚越弥左衛門殿より、言上《ごんじやう》仕り候へば、私見聞致し候仔細は、荒々《あらあら》右にて相尽き申す可く候。但《ただし》、万一|記《しる》し洩れも有之候節は、後日|再応《さいおう》書面を以て言上仕る可く、先《まづ》は私覚え書斯くの如くに御座候。以上
申《さる》年三月二十六日
伊予国宇和|郡《ごほり》――村
[#地から3字上げ]医師 尾形了斎
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