、南を枕にして打臥し居り候。尤も身熱《しんねつ》烈しく候へば、殆《ほとんど》正気|無之《これな》き体《てい》に相見え、いたいけなる手にて繰返し、繰返し、空《くう》に十字を描き候うては、頻《しきり》にはるれや[#「はるれや」に傍線]と申す語を、現《うつつ》の如く口走り、其|都度《つど》嬉しげに、微笑《ほほゑ》み居り候。右、はるれや[#「はるれや」に傍線]と申し候は、切支丹宗門の念仏にて、宗門仏に讃頌《さんしよう》を捧ぐる儀に御座候由、篠、其節|枕辺《まくらべ》にて、泣く泣く申し聞かし候。依つて、早速検脈致し候へば、傷寒《しやうかん》の病に紛れ無く、且は手遅れの儀も有之、今日中にも、存命覚束なかる可きやに見立て候間、詮方《せんかた》無く其旨、篠へ申し聞け候所、同人又々狂気の如く相成り、「私ころび候仔細は、娘の命助け度き一念よりに御座候。然るを落命致させては、其甲斐、万が一にも無之《これな》かる可く候。何卒泥烏須如来に背き奉り候私心苦しさを御汲み分け下され、娘一命、如何にもして、御取り留め下され度候。」と申し、私のみならず、私下男足下にも、手をつき候うて、頻《しきり》に頼み入り候へども、人力
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