にては如何とも致し難き儀に候へば、心得違ひ致さざる様、呉れ呉れも、申し諭《さと》し、煎薬|三貼《さんでふ》差し置き候上、折からの雨止みを幸《さいはひ》、立ち帰らんと致し候所、篠、私|袂《たもと》にすがりつき候うて離れ申さず、何やら申さんとする気色《けしき》にて、唇《くちびる》を動かし候へども、一言も申し果てざる中に、見る見る面色変り、忽《たちまち》、其場に悶絶致し候。然れば、私|大《おほい》に仰天致し、早速下男共々、介抱仕り候所、漸《やうやく》、正気づき候へども、最早立上り候気力も無之、「所詮は、私心浅く候儘、娘一命、泥烏須如来、二つながら失ひしに極まり候。」とて、さめざめと泣き沈み、種々申し慰め候へども、一向耳に掛くる体も御座無く、且は娘容態も詮無く相見え候間、止むを得ず再《ふたたび》下男召し伴《つ》れ、※[#「勹<夕」、第3水準1−14−76]々《そうそう》帰宅仕り候。
然るに、其日|未時《ひつじどき》下り、名主塚越弥左衛門殿母儀検脈に参り候所、篠娘死去致し候由、並に篠、悲嘆のあまり、遂に発狂致し候由、弥左衛門殿より承り候。右に依れば、里《さと》落命致し候は、私検脈後|一時《ひととき》の間と相見え、巳《み》の上刻には、篠既に乱心の体にて、娘死骸を掻き抱き、声高《こわだか》に何やら、蛮音《ばんいん》の経文|読誦《どくじゆ》致し居りし由に御座候。猶《なほ》、此儀は、弥左衛門殿|直《ぢき》に見受けられ候趣にて、村方嘉右衛門殿、藤吾殿、治兵衛殿等も、其場に居合されし由に候へば、千万《せんばん》実事《じつじ》たるに紛れ無かる可く候。
追つて、翌十日は、朝来小雨有之候へども辰《たつ》の下刻より春雷を催し、稍《やや》、晴れ間相きざし候折から――村郷士|梁瀬《やなせ》金十郎殿より、迎への馬差し遣はされ、検脈致し呉れ候様、申し越され候間、早速馬上にて、私宅を立ち出で候所、篠宅の前へ来かかり候へば、村方の人々大勢|佇《たたず》み居り、伴天連《ばてれん》よ、切支丹《きりしたん》よなど、罵り交し候うて、馬を進め候事さへ叶ひ申さず、依つて、私馬上より、家内の容子差し覗き候所、篠宅の戸を開け放ち候中に、紅毛人《こうまうじん》一名、日本人三名、各々|法衣《ころも》めきし黒衣を着し候者共、手に手に彼《かの》くるす[#「くるす」に傍線]、乃至は香炉様の物を差しかざし候うて、同音に、はるれや[
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