んだがね、僕はこの間《あいだ》何気《なにげ》なしに美代ちゃんの日記を読んで見たんだ。……」
 僕はこの「何気なしに」に多少の冷笑を加えたかった。が、勿論《もちろん》何も言わずに彼の話の先を待っていた。
「すると電車の中で知り合になった大学生のことが書いてあるんだよ。」
「それで?」
「それで僕は美代ちゃんに忠告しようかと思っているんだがね。……」
 僕はとうとう口を辷《すべ》らし、こんな批評《ひひょう》を加えてしまった。
「それは矛盾《むじゅん》しているじゃないか? 君は美代ちゃんを愛しても善《い》い、美代ちゃんは他人を愛してはならん、――そんな理窟《りくつ》はありはしないよ。ただ君の気もちとしてならば、それはまた別問題だけれども。」
 彼は明かに不快《ふかい》らしかった。が、僕の言葉には何も反駁《はんばく》を加えなかった。それから、――それから何を話したのであろう? 僕はただ僕自身も不快になったことを覚えている。それは勿論病人の彼を不快にしたことに対する不快だった。
「じゃ僕は失敬するよ。」
「ああ、じゃ失敬。」
 彼はちょっと頷《うなず》いた後《のち》、わざとらしく気軽につけ加えた
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