、ことがある。」
「それは誰でも外国人はいつか一度は幻滅《げんめつ》するね。ヘルンでも晩年はそうだったんだろう。」
「いや、僕は幻滅したんじゃない。illusion を持たないものに disillusion のあるはずはないからね。」
「そんなことは空論じゃないか? 僕などは僕自身にさえ、――未《いま》だに illusion を持っているだろう。」
「それはそうかも知れないがね。……」
 彼は浮かない顔をしながら、どんよりと曇った高台《たかだい》の景色を硝子《ガラス》戸越しに眺めていた。
「僕は近々《きんきん》上海《シャンハイ》の通信員になるかも知れない。」
 彼の言葉は咄嗟《とっさ》の間《あいだ》にいつか僕の忘れていた彼の職業を思い出させた。僕はいつも彼のことをただ芸術的な気質《きしつ》を持った僕等の一人《ひとり》に考えていた。しかし彼は衣食する上にはある英字新聞の記者を勤《つと》めているのだった。僕はどう云う芸術家も脱却《だっきゃく》出来ない「店《みせ》」を考え、努《つと》めて話を明るくしようとした。
「上海《シャンハイ》は東京よりも面白《おもしろ》いだろう。」
「僕もそう思ってい
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