氏の「随筆|頼山陽《らいさんやう》」に引けるを読めば、古人も亦田中君の信ずる如く陽物の大小に冷淡ならず。否、寧《むし》ろ今人よりも溌溂たる興味を有したるが如し。
「山陽しばしば画師|竹洞《ちくどう》の大陽物をなぶる。竹洞大いに怒り、自ら陽物を書き、『山陽先生、余の陽物を以て大なりと為す。拙者の陰茎《いんけい》、僅に此《かく》の如し』とかきて山陽に贈る。画工小田百合座に在り。曰く、『是は縮図《しゆくづ》であらう、原本必ず大なり焉。』一座大笑す。(是より文人、竹洞を名づけて縮図先生と号す。)」(原文に交へたる漢文は仮名《かな》まじりに書き改めたり。)
 我等は今人は買冠《かひかぶ》らねど、古人を買ひ冠ることは稀《まれ》なりと為さず。又同じ今人にしても、海の彼岸《ひがん》にゐる文人を買ひ冠ることは屡《しばしば》なり。然れども彼等も実際は我等と大差なき人間なるべし。或は我等の几側《きそく》に侍せしめ、講釈を聞かせてやるに足るものも存外少からざらん乎。と言へば大言壮語するに似たれど、兎《と》に角《かく》彼等を冷眼に見るは衛生上にも幾分か必要なるべし。

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 今人を罵《ののし》るの危
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