蹶起《けっき》したる新鋭気鋭の青年にあらずや。君自身これが染上《そめあ》げを扶《たす》け、君自身これを赤大根と罵《ののし》る、無情なるも亦甚しいかな。君|聴《き》け、啾啾《しうしう》赤大根の哭《こく》、文壇の夜気を動かさんとするを。然れども古人言へることあり。「英雄|豈《あに》児女の情なからんや」と。山客亦厳に江口君が有情の人たるを信ぜんと欲す。もし有情の人と做《な》さんか、君と雖《いへど》も遂に赤大根のみ。君と雖も遂に赤大根のみ。
[#地から2字上げ]瑯※[#「王+牙」、187−下−3]山客《らうやさんかく》
[#地から1字上げ](大正十二年三月)

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 田中純君は「文芸春秋」のゴシツプの卑俗に陥るを論難し、「古今の文人、誰か陽物《やうぶつ》の大小を云々せんや」と言へり。我等も亦田中君の義憤に声援するを辞するものにあらず。然れども卑俗なるゴシツプを喜べるは古人も亦今人に劣らざりしが如し。谷三山《たにさんざん》、森田|節斎《せつさい》両家の筆談を録せる「二家筆談」と言ふ書ある由、(三山は聾《つんぼ》なりし故なり。)我等は未だその書を見ねど、市島春城《いちじましゆんじやう》氏の「随筆|頼山陽《らいさんやう》」に引けるを読めば、古人も亦田中君の信ずる如く陽物の大小に冷淡ならず。否、寧《むし》ろ今人よりも溌溂たる興味を有したるが如し。
「山陽しばしば画師|竹洞《ちくどう》の大陽物をなぶる。竹洞大いに怒り、自ら陽物を書き、『山陽先生、余の陽物を以て大なりと為す。拙者の陰茎《いんけい》、僅に此《かく》の如し』とかきて山陽に贈る。画工小田百合座に在り。曰く、『是は縮図《しゆくづ》であらう、原本必ず大なり焉。』一座大笑す。(是より文人、竹洞を名づけて縮図先生と号す。)」(原文に交へたる漢文は仮名《かな》まじりに書き改めたり。)
 我等は今人は買冠《かひかぶ》らねど、古人を買ひ冠ることは稀《まれ》なりと為さず。又同じ今人にしても、海の彼岸《ひがん》にゐる文人を買ひ冠ることは屡《しばしば》なり。然れども彼等も実際は我等と大差なき人間なるべし。或は我等の几側《きそく》に侍せしめ、講釈を聞かせてやるに足るものも存外少からざらん乎。と言へば大言壮語するに似たれど、兎《と》に角《かく》彼等を冷眼に見るは衛生上にも幾分か必要なるべし。

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 今人を罵《ののし》るの危
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