のテエブルの上へ外套《がいとう》や帽子を投げ出した時、一時に今まで忘れていた疲れを感じずにはいられなかった。女中は瓦斯暖炉《ガスだんろ》に火をともし、僕一人を部屋の中に残して行った。多少の蒐集癖を持っていた従兄はこの部屋の壁にも二三枚の油画《あぶらえ》や水彩画《すいさいが》をかかげていた。僕はぼんやりそれらの画《え》を見比べ、今更のように有為転変《ういてんぺん》などと云う昔の言葉を思い出していた。
 そこへ前後してはいって来たのは従姉や従兄の弟だった。従姉も僕の予期したよりもずっと落ち着いているらしかった。僕は出来るだけ正確に彼等に従兄の伝言を話し、今度の処置を相談し出した。従姉は格別積極的にどうしようと云う気も持ち合せなかった。のみならず話の相間《あいま》にもアストラカンの帽をとり上げ、こんなことを僕に話しかけたりした。
「妙な帽子ね。日本で出来るもんじゃないでしょう?」
「これ? これはロシア人のかぶる帽子さ。」
 しかし従兄の弟は従兄以上に「仕事師」だけにいろいろの障害を見越していた。
「何しろこの間も兄貴《あにき》の友だちなどは××新聞の社会部の記者に名刺を持たせてよこすんです。その名刺には口止め料金のうち半金《はんきん》は自腹を切って置いたから、残金を渡してくれと書いてあるんです。それもこっちで検《しら》べて見れば、その新聞記者に話したのは兄貴の友だち自身なんですからね。勿論半金などを渡したんじゃない。ただ残金をとらせによこしているんです。そのまた新聞記者も新聞記者ですし、……」
「僕もとにかく新聞記者ですよ。耳の痛いことは御免蒙《ごめんこうむ》りますかね。」
 僕は僕自身を引き立てるためにも常談《じょうだん》を言わずにはいられなかった。が、従兄の弟は酒気を帯びた目を血走らせたまま、演説でもしているように話しつづけた。それは実際常談さえうっかり言われない権幕《けんまく》に違いなかった。
「おまけに予審判事《よしんはんじ》を怒《おこ》らせるためにわざと判事をつかまえては兄貴を弁護する手合いもあるんですからね。」
「それはあなたからでも話して頂けば、……」
「いや、勿論そう言っているんです。御厚意は重々《じゅうじゅう》感謝しますけれども、判事の感情を害すると、反《かえ》って御厚意に背《そむ》きますからと頭を下げて頼んでいるんです。」
 従姉《いとこ》は瓦斯《ガ
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