いとこ》はこの窓の向うに、――光の乏しい硝子《ガラス》窓の向うに円まると肥《ふと》った顔を出した。しかし存外《ぞんがい》変っていないことは幾分か僕を力丈夫にした。僕等は感傷主義を交《まじ》えずに手短かに用事を話し合った。が、僕の右隣りには兄に会いに来たらしい十六七の女が一人とめどなしに泣き声を洩《も》らしていた。僕は従兄と話しながら、この右隣りの泣き声に気をとめない訣《わけ》には行《ゆ》かなかった。
「今度のことは全然|冤罪《えんざい》ですから、どうか皆さんにそう言って下さい。」
従兄は切《き》り口上《こうじょう》にこう言ったりした。僕は従兄を見つめたまま、この言葉には何《なん》とも答えなかった。しかし何とも答えなかったことはそれ自身僕に息苦しさを与えない訣《わけ》には行《ゆ》かなかった。現に僕の左隣りには斑《まだ》らに頭の禿《は》げた老人が一人やはり半月形《はんげつがた》の窓越しに息子《むすこ》らしい男にこう言っていた。
「会わずにひとりでいる時にはいろいろのことを思い出すのだが、どうも会うとなると忘れてしまってな。」
僕は面会室の外へ出た時、何か従兄にすまなかったように感じた。が、それは僕等同志の連帯責任であるようにも感じた。僕はまた看守に案内され、寒さの身にしみる刑務所の廊下を大股に玄関へ歩いて行った。
ある山《やま》の手《て》の従兄の家には僕の血を分けた従姉《いとこ》が一人僕を待ち暮らしているはずだった。僕はごみごみした町の中をやっと四谷見附《よつやみつけ》の停留所へ出、満員の電車に乗ることにした。「会わずにひとりいる時には」と言った、妙に力のない老人の言葉は未《いま》だに僕の耳に残っていた。それは女の泣き声よりも一層僕には人間的だった。僕は吊《つ》り革につかまったまま、夕明りの中に電燈をともした麹町《こうじまち》の家々を眺め、今更のように「人さまざま」と云う言葉を思い出さずにはいられなかった。
三十分ばかりたった後《のち》、僕は従兄の家の前に立ち、コンクリイトの壁についたベルの鈕《ボタン》へ指をやっていた。かすかに伝わって来るベルの音は玄関の硝子《ガラス》戸の中に電燈をともした。それから年をとった女中が一人細目に硝子戸をあけて見た後《のち》、「おや……」何《なん》とか間投詞《かんとうし》を洩らし、すぐに僕を往来に向った二階の部屋へ案内した。僕はそこ
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