ュメルツがあると云うような事を云う男だから、僕の読んでいる本に李太白の名がないと、大《おおい》に僕を軽蔑した。そこで僕も黙っていると負けた事にされるから暑いのを我慢して、少し議論をした。どうせ暇つぶしにやる議論だから勝っても負けても、どちらでも差支《さしつか》えない。その中《うち》に赤木は、「一体支那人は本へ朱《しゅ》で圏点《けんてん》をつけるのが皆うまい。日本人にやとてもああ円くは出来ないから、不思議だ。」と、つまらない事を感心し出した。朱でまるを描《か》くくらいなら、己《おれ》だって出来ると思ったが、うっかりそんな事を云うと、すぐ「じゃ、やって見ろ。」ぐらいな事になり兼ねないから、「成程《なるほど》そうかね。」とまず敬して遠ざけて置いた。
 日の暮れ方に、二人《ふたり》で湯にはいって、それから、自笑軒《じしょうけん》へ飯を食いに行った。僕はそこで一杯の酒を持ちあつかいながら、赤木に大倉喜八郎《おおくらきはちろう》と云う男が作った小唄の話をしてやった。何がどうとかしてござりんすと云う、大へんな小唄である。文句《もんく》も話した時は覚えていたが、もうすっかり忘れてしまった。赤木は、これ
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