田端人
芥川龍之介

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)田端《たばた》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)又|空谷山人《くうこくさんじん》

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(例)[#地から1字上げ](大正十四年二月)
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 この度は田端《たばた》の人々を書かん。こは必ずしも交友ならず。寧《むし》ろ僕の師友なりと言ふべし。
 下島勲《しもじまいさを》 下島先生はお医者なり。僕の一家は常に先生の御厄介《ごやくかい》になる。又|空谷山人《くうこくさんじん》と号し、乞食《こつじき》俳人|井月《せいげつ》の句を集めたる井月句集の編者なり。僕とは親子ほど違ふ年なれども、老来トルストイでも何《なん》でも読み、論戦に勇なるは敬服すべし。僕の書画を愛する心は先生に負ふ所少からず。なほ次手《ついで》に吹聴《ふいちやう》すれば、先生は時々夢の中に化《ば》けものなどに追ひかけられても、逃げたことは一度もなきよし。先生の胆《たん》、恐らくは駝鳥《だてう》の卵よりも大ならん乎《か》。
 香取秀真《かとりほづま》 香取先生は通称「お隣の先生」なり。先生の鋳金家《ちうきんか》にして、根岸《ねぎし》派の歌よみたることは断《ことわ》る必要もあらざるべし。僕は先生と隣り住みたる為、形の美しさを学びたり。勿論学んで悉《つく》したりとは言はず。且《かつ》又先生に学ぶ所はまだ沢山《たくさん》あるやうなれば、何ごとも僕に盗《ぬす》めるだけは盗み置かん心がまへなり。その為にも「お隣の先生」の御寿命《ごじゆみやう》のいや長《なが》に長からんことを祈り奉る。香取先生にも何かと御厄介になること多し。時には叔父《をぢ》を一人《ひとり》持ちたる気になり、甘つたれることもなきにあらず。
 小杉未醒《こすぎみせい》 これも勿論年長者なり。本職の油画や南画以外にも詩を作り、句を作り、歌を作る。呆《あき》れはてたる器用人と言ふべし。和漢の武芸に興味を持つたり、テニスや野球をやつたりする所は豪傑肌《がうけつはだ》のやうなれども、荒木又右衛門《あらきまたゑもん》や何かのやうに精悍《せいかん》一点張りの野蛮人にはあらず。僕などは何か災難《さいなん》に出合ひ、誰かに同情して貰ひたき時には、まづ未醒老人に綿々と愚痴《ぐち》を述べるつもりなり。尤《もつと》も実際述べたこ
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