ナは多少寂しかつたのを知つた。(二月三日)
蕗
坂になった路の土が、砥《と》の粉《こ》のやうに乾いてゐる。寂しい山間の町だから、路には石塊《いしころ》も少くない。両側《りやうがは》には古いこけら葺《ぶき》の家が、ひつそりと日光を浴びてゐる。僕等|二人《ふたり》の中学生は、その路をせかせか上《のぼ》つて行つた。すると赤ん坊を背負《せお》つた少女が一人、濃い影を足もとに落しながら、静に坂を下《くだ》つて来た。少女は袖《そで》のまくれた手に、茎の長い蕗《ふき》をかざしてゐる。何《なん》の為めかと思つたら、それは真夏の日光が、すやすや寝入つた赤ん坊の顔へ、当らぬ為の蕗であつた。僕等二人はすれ違ふ時に、そつと微笑を交換した。が、少女はそれも知らないやうに、やはり静に通りすぎた。かすかに頬《ほほ》が日に焼けた、大様《おほやう》の顔だちの少女である。その顔が未《いまだ》にどうかすると、はつきり記憶に浮ぶ事がある。里見《さとみ》君の所謂《いはゆる》一目惚《ひとめぼ》れとは、こんな心もちを云ふのかも知れない。(二月十日)
[#地から1字上げ](大正十年)
底本:「筑摩全集類聚 芥川
前へ
次へ
全21ページ中20ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
芥川 竜之介 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング