オくないにしても、近年は亜米利加の流行に、影響される形がないでもない。イバネスの名前が聞え出したのは、この実例の一つである。(僕が高等学校の生徒だつた頃は、あの「大寺院の影」の外《ほか》に、英吉利語訳のイバネスは何処《どこ》を探しても見当らなかつた。)向う河岸《がし》の火の手が静まつたら、今度はパピニなぞの伊太利《イタリイ》文学が、日本にも紹介され出すかも知れぬ。これは大陸文学ではないが、以前文壇の一角に、愛蘭土《アイルランド》文学が持《も》て囃《はや》されたのも、火の元は亜米利加にあつたやうだ。かう云ふ日米関係は、英吉利語文学が流行しないだけに存外《ぞんぐわい》見落され勝ちのやうである。偶《たまたま》丸善へ行つて見たら、イバネス、ブレスト・ガナ、デ・アラルコン、バロハなぞの西班牙《スペイン》小説が沢山《たくさん》並べてあつた為め、こんな事を記《しる》して置く気になつた。(二月一日)
Ambroso Bierce
日米関係を論じた次手《ついで》に、亜米利加《アメリカ》の作家を一人《ひとり》挙げよう。アムブロオズ・ビイアスは毛色の変つた作家である。(一)短篇小説を組み立て
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