の神々、十方《じっぽう》の諸菩薩《しょぼさつ》、どうかこの嘘《うそ》の剥《は》げませぬように。
二
黄泉《よみ》の使、玉造《たまつくり》の小町《こまち》を背負《せお》いながら、闇穴道《あんけつどう》を歩いて来る。
小町 (金切声《かなきりごえ》を出しながら)どこへ行くのです? どこへ行くのです?
使 地獄へ行くのです。
小町 地獄へ! そんなはずはありません。現に昨日《きのう》安倍《あべ》の晴明《せいめい》も寿命《じゅみょう》は八十六と云っていました。
使 それは陰陽師《おんみょうじ》の嘘でしょう。
小町 いいえ、嘘ではありません。安倍の晴明の云うことは何でもちゃんと当るのです。あなたこそ嘘をついているのでしょう。そら、返事に困っているではありませんか?
使 (独白《どくはく》)どうもおれは正直すぎるようだ。
小町 まだ強情《ごうじょう》を張るつもりなのですか? さあ、正直に白状《はくじょう》しておしまいなさい。
使 実はあなたにはお気の毒ですが、……
小町 そんなことだろうと思っていました。「お気の毒ですが、」どうしたのです?
使 あなたは小野《おの》の小町《こまち》の代りに地獄へ堕《お》ちることになったのです。
小町 小野の小町の代りに! それはまた一体どうしたんです?
使 あの人は今|身持《みも》ちだそうです。深草《ふかくさ》の少将《しょうしょう》の胤《たね》とかを、……
小町 (憤然《ふんぜん》と)それをほんとうだと思ったのですか? 嘘ですよ。あなた! 少将は今でもあの人のところへ百夜通《ももよがよ》いをしているくらいですもの。少将の胤を宿すのはおろか、逢《あ》ったことさえ一度もありはしません。嘘も、嘘も、真赤な嘘ですよ!
使 真赤な嘘? そんなことはまさかないでしょう。
小町 では誰にでも聞いて御覧なさい。深草の少将の百夜通いと云えば、下司《げす》の子供でも知っているはずです。それをあなたは嘘とも思わずに、……あの人の代りにわたしの命を、……ひどい。ひどい。ひどい。(泣き始める)
使 泣いてはいけません。泣くことは何もないのですよ。(背中から玉造の小町を下《おろ》す)あなたは始終この世よりも、地獄に住みたがっていたでしょう。して見ればわたしの欺《だま》されたのは、反《かえ》って仕合せではありませんか?
小町 (噛《か》みつきそうに)誰がそんなことを云ったのです?
使 (怯《お》ず怯《お》ず)やっぱりさっき小野の小町が、……
小町 まあ、何と云う図々《ずうずう》しい人だ! 嘘つき! 九尾《きゅうび》の狐! 男たらし! 騙《かた》り! 尼天狗《あまてんぐ》! おひきずり! もうもうもう、今度顔を合せたが最後、きっと喉笛《のどぶえ》に噛《か》みついてやるから。口惜《くや》しい。口惜しい。口惜しい。(黄泉《よみ》の使をこづきまわす)
使 まあ、待って下さい。わたしは何も知らなかったのですから、――まあ、この手をゆるめて下さい。
小町 一体あなたが莫迦《ばか》ではありませんか? そんな嘘を真《ま》に受けるとは、……
使 しかし誰でも真に受けますよ。……あなたは何か小野の小町に恨《うら》まれることでもあるのですか?
小町 (妙に微笑する)あるような、ないような、……まあ、あるのかも知れません。
使 するとその恨まれることと云うのは?
小町 (軽蔑するように)お互《たがい》に女ではありませんか?
使 なるほど、美しい同士でしたっけ。
小町 あら、お世辞《せじ》などはおよしなさい。
使 お世辞ではありませんよ。ほんとうに美しいと思っているのです。いや、口には云われないくらい美しいと思っているのです。
小町 まあ、あんな嬉しがらせばっかり! あなたこそ黄泉には似合わない、美しいかたではありませんか?
使 こんな色の黒い男がですか?
小町 黒い方《ほう》が立派《りっぱ》ですよ。男らしい気がしますもの。
使 しかしこの耳は気味が悪いでしょう。
小町 あら、可愛いではありませんか? ちょいとわたしに触《さわ》らして下さい。わたしは兎《うさぎ》が大好きなのですから。(使の兎の耳を玩弄《おもちゃ》にする)もっとこっちへいらっしゃい。何だかわたしはあなたのためなら、死んでも好《い》いような気がしますよ。
使 (小町を抱《だ》きながら)ほんとうですか?
小町 (半ば眼を閉じたまま)ほんとうならば?
使 こうするのです。(接吻《せっぷん》しようとする)
小町 (突きのける)いけません。
使 では、……では嘘なのですか?
小町 いいえ、嘘ではありません。ただあなたが本気かどうか、それさえわかれば好《よ》いのです。
使 では何でも云いつけて下さい。あな
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