好《い》い」と言はれた。しかし実際は「大分好い」よりも寧《むし》ろ大分悪かつたのであらう。現に先生の奥さんなどは愁《うれ》はしい顔をしてゐられたものである。
或曇つた冬の日の午後、僕等は皆福間先生の柩《ひつぎ》を今戸《いまど》のお寺へ送つて行つた、お葬式の導師《だうし》になつたのはやはり鴎外《おうぐわい》先生の「二人《ふたり》の友」の中の「安国寺《あんこくじ》さん」である。「安国寺さん」は式をすませた後《のち》、本堂の前に並んだ僕等に寂滅為楽《じやくめつゐらく》の法を説かれた。「北※[#「亡+おおざと」、第3水準1−92−61]山頭《ほくばうさんとう》一片《いつぺん》の煙となり、」――僕は度たび「安国寺さん」のそんなことを言はれたのを覚えてゐる。同時に又|丁度《ちやうど》その最中《さいちう》に糠雨《ぬかあめ》の降り出したのも覚えてゐる。
僕はこの短い文章に「二人の友」と云ふ題をつけた。それは勿論鴎外先生の「二人の友」を借用したのである。けれども今読み返して見ると、僕も亦《また》偶然この文章の中に二人の友だちの名を挙げてゐた。福間先生にからかはれたのは必《かならず》しも久米《くめ》に
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