《くめまさを》にかう言はれた。
「君にはこの言葉の意味がクメとれないんですか?」
 久米も亦《また》忽ち洒落《しやれ》を以て酬《むく》いた。
「ええ、ちよつとわかりません。どう言ふ意味がフクマつてゐるか」
 福間《ふくま》先生は二学期からいきなり僕等にゲラアデ・アウスと云ふギズキイの警句集を教へられた。僕等の新単語に悩まされたことは言ふを待たないのに違ひない。僕は未《いま》だにその本にあつた、シユタアツ・ヘモロイダリウスと云ふ、不可思議な言葉を記憶してゐる。この言葉は恐らくは一生の間《あひだ》、薄暗い僕の脳味噌《のうみそ》のどこかに木の子のやうに生えてゐるであらう。僕はそんなことを考へると、いつも何か可笑《をか》しい中に儚《はかな》い心もちも感じるのである。
 福間先生の死なれたのは僕等の二年生になつた時か、それとも三年生になつた時か、生憎《あいにく》はつきりと覚えてゐない。が、その一週間か二週間か前《まへ》に今の恒藤恭《つねとうきよう》――当時の井川《ゐがは》恭と一しよにお見舞に行つたことは覚えてゐる。先生はベツドに仰臥《ぎやうぐわ》されたまま、たつた一言《ひとこと》「大分《だいぶ》
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