うしてまた、第一の私と、同じ姿勢を装《よそお》って居りました。もしそれがこちらを向いたとしたならば、恐らくその顔もまた、私と同じだった事でございましょう。私はその時の私の心もちを、何と形容していいかわかりません。私の周囲には大ぜいの人間が、しっきりなしに動いて居ります。私の頭の上には多くの電燈が、昼のような光を放って居ります。云わば私の前後左右には、神秘と両立し難い一切の条件が、備っていたとでも申しましょうか。そうして私は実に、そう云う外界の中に、突然この存在以外の存在を、目前に見たのでございます。私の錯愕《さくがく》は、そのために、一層驚くべきものになりました。私の恐怖は、そのために、一層恐るべきものになりました。もし妻がその時眼をあげて、私の方を一瞥《いちべつ》しなかったなら、私は恐らく大声をあげて、周囲の注意をこの奇怪な幻影に惹《ひ》こうとした事でございましょう。
 しかし、妻の視線は、幸にも私の視線と合しました。そうして、それとほとんど同時に、第二の私は丁度|硝子《ガラス》に亀裂《きれつ》の入るような早さで、見る間に私の眼界から消え去ってしまいました。私は、夢遊病患者《ソムナン
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