からは授業の時間もございませんから、一しょに学校を出て、駿河台下《するがだいした》のあるカッフェへ飯を食いに参りました。駿河台下には、御承知の通りあの四つ辻の近くに、大時計が一つございます。私は電車を下りる時に、ふとその時計の針が、十二時十五分を指していたのに気がつきました。その時の私には、大時計の白い盤が、雪をもった、鉛のような空を後《うしろ》にして、じっと動かずにいるのが、何となく恐しいような気がしたのでございます。あるいは事によるとこれも、あの前兆[#「あの前兆」に傍点]だったかも知れません。私は突然この恐しさに襲われたので、大時計を見た眼を何気なく、電車の線路一つへだてた中西屋《なかにしや》の前の停留場へ落しました。すると、その赤い柱の前には、私と私の妻とが肩を並べながら、睦《むつま》じそうに立っていたではございませんか。
妻は黒いコオトに、焦茶《こげちゃ》の絹の襟巻をして居りました。そうして鼠色のオオヴァ・コオトに黒のソフトをかぶっている私に、第二の私に、何か話しかけているように見えました。閣下、その日は私も、この第一の私も、鼠色のオオヴァ・コオトに、黒のソフトをかぶってい
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