う》と申すものでございます。年齢は三十五歳、職業は東京帝国文科大学哲学科卒業後、引続き今日まで、私立――大学の倫理及英語の教師を致して居ります。妻ふさ子は、丁度四年以前に、私と結婚致しました。当年二十七歳になりますが、子供はまだ一人《ひとり》もございません。ここで私が特に閣下の御注意を促したいのは、妻にヒステリカルな素質があると云う事でございます。これは結婚前後が最も甚《はなはだ》しく、一時は私とさえほとんど語《ことば》を交えないほど、憂鬱になった事もございましたが、近年は発作《ほっさ》も極めて稀になり、気象も以前に比べれば、余程快活になって参りました。所が、昨年の秋からまた精神に何か動揺が起ったらしく、この頃では何かと異常な言動を発して、私を窘《くるし》める事も少くはございません。ただ、私が何故《なにゆえ》妻のヒステリイを力説するか、それはこの奇怪な現象に対する私自身の説明と、ある関係があるからで、その説明については、いずれ後で詳しく申上る事に致しましょう。
 さて、私及私の妻に現れたドッペルゲンゲルの事実は、どんなものかと申しますと、大体においてこれまでに三度ございました。今それを一つずつ私の日記を参考として、出来るだけ正確に、ここへ記載して御覧に入れましょう。
 第一は、昨年十一月七日、時刻は略《ほぼ》午後九時と九時三十分との間でございます。当日私は妻と二人で、有楽座の慈善演芸会へ参りました。打明けた御話をすれば、その会の切符は、それを売りつけられた私の友人夫婦が何かの都合で行かれなくなったために、私たちの方へ親切にもまわしてくれたのです。演芸会そのものの事は、別にくだくだしく申上げる必要はございません。また実際|音曲《おんぎょく》にも踊にも興味のない私は、云わば妻のために行ったようなものでございますから、プログラムの大半は徒《いたずら》に私の退屈を増させるばかりでございました。従って、申上げようと思ったと致しましても、全然その材料を欠いているような始末でございます。ただ、私の記憶によりますと、仲入りの前は、寛永《かんえい》御前仕合《ごぜんしあい》と申す講談でございました。当時の私の思量に、異常な何ものかを期待する、準備的な心もちがありはしないかと云う懸念《けねん》は、寛永御前仕合の講談を聞いたと云うこの一事でも一掃されは致しますまいか。
 私は、仲入りに廊下
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