ん》と思ふから、笑つてばかりゐて相手にしない。しないばかりなら、よかつたんだが、何かの拍子《ひやうし》に「市兵衛《いちべゑ》さんお前|妾《わちき》に惚《ほ》れるなら、命がけで惚れなまし」つて云つたんださうだ。それがあいつの頭へぴんと来たんだらう。おまけに奈良茂《ならも》がその後《あと》から、「かうなると汝《われ》と己《おれ》とは仇《かたき》同志や。今が今でも命のやりとりしてこまそ」つて、笑つたと云ふんだから機会《きつかけ》が悪い。すると、南瓜《かぼちや》は今まではしやいでゐたやつが、急に血相《けつさう》を変へながら坐り直して――それから君、何をやつたと思ふ。あいつがそのとろんこになつた眼を据ゑてハムレツトの声色《こわいろ》を使つたんだ。それも英語で使つたんだと云ふから、驚かあね。
 これにや一座も、呆気《あつけ》にとられた。――とられた筈さ。そこにゐた手合《てあひ》にや、遊扇《いうせん》にしろ、蝶兵衛《てふべゑ》にしろ、英語の英の字もわかりやしない。其角《きかく》だつて、「奥《おく》の細道《ほそみち》」の講釈はするだらうが、ハムレツトと来た日にや名を聞いた事もあるまいからね。唯その中でたつた一人、成金《なりきん》のお客にやこれがわかる――そこは亜米利加《アメリカ》で皿洗ひか何かして来ただけに、日本の芝居はつまらないとあつて、オペラコミツクのミス何《なん》とかを贔屓《ひいき》にしてゐると云ふ御人体《ごにんてい》なんだ、がもとより洒落《しやれ》だと心得てゐたから、南瓜が妙な身ぶりをしながら、薄雲太夫をつかまへて、「You go not till I set you up a glass/Where you may see the inmost part of you.」とか何《なん》とか云つても、不相変《あひかはらず》げらげら笑つてゐたさうだがね。――そこまでは、まあよかつたんだ。それがハムレツトの台辞《せりふ》よろしくあつて、だんだんあいつが太夫《たいふ》につめよつて来た時に、間《ま》の悪い時は又間の悪いもので、奈良茂《ならも》の大将が一杯機嫌でどこで聞きかじったか、「What, ho! help! help! help!」とポロニアスの声色《こわいろ》を使つたぢやないか。南瓜のやつはそれを聞くと、急に死人のやうな顔になつて、息がつまりさうな声を出しながら、「How,
前へ 次へ
全4ページ中3ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
芥川 竜之介 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング