んさ。所がいくら南瓜《かぼちや》だつて、さう始終|洒落《しやれ》てばかりゐる訳にや行《ゆ》きやしない。たまには改まつて、真面目《まじめ》な事も云ふ時がある。が、お客の方ぢや南瓜は何時《いつ》でも洒落るもんだと思つてゐるから、いくらあいつが真面目《まじめ》な事を云つたつて、やつぱり腹を抱へて笑つてゐる。そこがこの頃になつて見ると、だんだんあいつの気になり出したんだ。あれで君、見かけよりや存外《ぞんぐわい》神経質な男だからね。いくらフロツクに緋天鳶絨《ひびろうど》のチヨツキを着て由兵衛奴《よしべゑやつこ》の頭を扇子《せんす》で叩いてゐたつて、云ふ事まで何時《いつ》でも冗談《じようだん》だとは限りやしない。真面目な事を云ふ時は、やつぱり真面目な事を云つてゐるんだ、事によるとお客よりや、もつと真面目な事を云つてたかも知れない――とまあ、僕は思ふんだがね。だからあいつに云はせりや「笑ふ手前が可笑《をか》しいぞ」位な気は、とうの昔からあつたんだ。今度のあいつの一件だつて、つまりはその不平が高《かう》じたやうなもんぢやないか。
 そりや新聞に出てゐた通り、南瓜《かぼちや》が薄雲太夫《うすぐもだいふ》と云ふ華魁《おいらん》に惚《ほ》れてゐた事はほんたうだらう。さうしてあの奈良茂《ならも》と云ふ成金《なりきん》が、その又|太夫《たいふ》に惚れてゐたのにも違ひない。が、なんぼあいつだつてそんな鞘当筋《さやあてすぢ》だけぢや人殺しにも及ぶまいぢやないか。それよりあいつが口惜《くや》しがつたのは、誰もあいつが薄雲太夫に惚れてゐると云ふ事を、真《ま》にうける人間がゐなかつた事だ。成金のお客は勿論、当の薄雲太夫にした所で、そんな事は夢にもないと思つてゐる。尤《もつと》もさう思つたのも可愛《かはい》さうだが無理ぢやない。向うは仲《なか》の町《ちやう》でも指折りの華魁《おいらん》だし、こつちは片輪も同様な、ちんちくりんの南瓜だからね。かうならない前に聞いて見給へ。僕にしたつて嘘だと思ふ。それがあいつにやつらかつたんだ。別して惚れた相手の薄雲太夫が真にうけないのを苦に病《や》んだらしい――だからこその人殺しさ。
 何でもその晩もあいつは酔つぱらつて薄雲太夫《うすぐもだいふ》の側へ寄つちや、夫婦になつてくれとか何《なん》とか云つたんださうだ。太夫《たいふ》の方《はう》ぢや何時《いつ》もの冗談《じようだ
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