now! A rat? Dead for a ducat, dead!」と云ふが早いか、いきなり奈良茂《ならも》の側にあつた鮫鞘《さめざや》の脇差《わきざし》を引《ひつ》こぬいて、ずぶりと向うの胸へ突《つつ》こんだんだ。そこでほんもののポロニアスなら「Oh! I am slain.」と云ふ所なんだが、刀は切れるし、急所だし、うんと云つたきりお客は往生《わうじやう》さ。その血の出た事つたらなかつたさうだよ。
「見やあがれ。己《おれ》だつて出たらめばかりは云やしねえ。」――南瓜《かぼちや》はさう云つて、脇差を抛《はふ》り出したさうだがね。返り血もかかつたんだらうが、チヨツキが緋天絨鴦《ひびろうど》なので、それがさほど目に立たない。人を殺したつて、殺さなくつたつて、見た所はやつぱりちんちくりんの、由兵衛奴《よしべゑやつこ》にフロツクを着た、あの南瓜の市兵衛《いちべゑ》が、それでもそこにゐた連中にや、別人のやうに見えたんだらう。――見えたんぢやない。まるで別人になつてしまつたんだ。だから、あいつが御用《ごよう》になつて、茶屋の二階から引立《ひつた》てられる時にや、捕縄《とりなは》のかかつた手の上から、桐《きり》に鳳凰《ほうわう》の繍《ぬひ》のある目のさめるやうな綺麗《きれい》な仕掛《しかけ》を羽織《はお》つてゐたと云ふぢやないか。なに誰の仕掛だ。勿論|薄雲太夫《うすぐもだいふ》のさ。
 それ以来|吉原《よしはら》は、今でもあいつの噂《うはさ》で持ちきつてゐるやうだ。兎《と》に角《かく》これで見ても、何《なん》でも冗談《じようだん》だと思ふのは危険だよ。笑つて云つたつて、云はなくつたつて、真面目《まじめ》な事はやつぱり真面目な事にちがひないからね。
[#地から1字上げ](大正七年二月)



底本:「筑摩全集類聚 芥川龍之介全集第四巻」筑摩書房
   1971(昭和46)年6月5日初版第1刷発行
   1979(昭和54)年4月10日初版第11刷発行
入力:土屋隆
校正:松永正敏
2007年6月26日作成
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