ない。その方《ほう》づれの申す事に気がつかぬうつけと思うか。」――が、道祖神《さえのかみ》は答えない。切り燈台のかげに蹲《うずくま》ったまま、じっと頭を垂れて、阿闍梨の語《ことば》を、聞きすましているようである。
「よう聞けよ。生死即涅槃《しょうじそくねはん》と云い、煩悩即菩提《ぼんのうそくぼだい》と云うは、悉く己《おの》が身の仏性《ぶっしょう》を観ずると云う意《こころ》じゃ。己が肉身は、三身即一の本覚如来《ほんがくにょらい》、煩悩|業苦《ごうく》の三道は、法身般若外脱《ほっしんはんにゃげだつ》の三徳、娑婆《しゃば》世界は常寂光土《じょうじゃつこうど》にひとしい。道命は無戒の比丘《びく》じゃが、既に三観三諦即一心《さんかんさんたいそくいつしん》の醍醐味《だいごみ》を味得《みとく》した。よって、和泉式部《いずみしきぶ》も、道命が眼《まなこ》には麻耶夫人《まやふじん》じゃ。男女《なんにょ》の交会も万善《ばんぜん》の功徳《くどく》じゃ。われらが寝所には、久遠本地《くおんほんじ》の諸法、無作法身《むさほっしん》の諸仏等、悉く影顕《えいげん》し給うぞよ。されば、道命が住所は霊鷲宝土《りょうじゅほ
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