動物園
芥川龍之介

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)鰐《わに》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)桃色|繻子《じゆす》

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   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「均のつくり」、第3水準1−14−75]《にほひ》
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     象

 象よ。キツプリングは昔お前の先祖が、鰐《わに》に鼻を啣《くは》へられたものだから、未《いま》だにお前まで長い鼻をぶら下げて歩いてゐると云つた。が、おれにはどうしても、あいつの云ふ事が信用出来ない。お前の先祖は仏陀《ぶつだ》御在世《ございせい》の時分、きつとガンヂス河《がは》の燈心草《とうしんぐさ》の中で、昼寝か何かしてゐたのだ。すると河の泥に隠れてゐた、途方《とはう》もなく大きな蛭《ひる》が、その頃はまだ短かつた、お前の先祖の鼻の先へ、吸ひついてしまつたのに違ひない。さもなければお前の鼻が、これ程大きな蛭《ひる》のやうに、伸びたり縮《ちぢ》んだりはしないだらう。象よ。お前は印度《インド》の名門の生れだ。どうかおれの云つた通り、あのキツプリングの説などは口から出放題《ではうだい》の大法螺《おほぼら》だと、先祖の寃《ゑん》を雪《すす》ぐ為に、一度でも好《い》いからその鼻をあげて、喇叭《らつぱ》のやうな声を轟かせてくれ。

     鸛《こふ》の鳥《とり》

 あの頸《くび》をさ、襟飾《ネクタイ》のやうに結《むす》んでしまつたら、一体あいつはどうしてほどく気なんだらう。

     駱駝《らくだ》

 お爺《ぢい》さん。もう万年青《おもと》の御手入《おていれ》はおすみですか。ではまあ一服おやりなさい。おや、あの菖蒲革《しやうぶがは》の莨《たばこ》入は、どこへ忘れて御出でなすつた?

     虎

 虎よ。お前はコスモポリタンだ。豊干禅師《ぶかんぜんじ》を乗せたお前。和唐内《わたうない》に搏《う》たれたお前。それからウイルヤム・ブレエクの有名な詩に歌はれたお前。虎よ。お前は最大のコスモポリタンだ。

     家鴨《あひる》

 子供が黒板《こくばん》へ白墨《はくぼく》で悪戯《いたづら》に書いた算用数字。2、2、2、2、2、2。

     白孔雀《しろくじやく》

 これは年とつた貴婦人だ。お眼が少し赤く爛《ただ》れていらつしやる。鼈甲《べつかふ》の柄《え》のついた眼鏡《めがね》を持つて、一々見物人を御覧になれば好《い》い。

     大蝙蝠《おほかうもり》

 お前の翼は仁木弾正《につきだんじやう》の鬢《びん》だ。面明《つらあか》りの蝋燭位《らふそくくらゐ》は、一煽《ひかあふ》りにも消し兼ねない。さうしたら、鼻の尖つた、眼張りの強い、脣《くちびる》をへの字に曲げてゐる顔が、うす暗い雲母摺《きららずり》を後《うしろ》にして、愈《いよいよ》気味悪く浮き上るだらう。落款《らくくわん》は東洲斎写楽《とうしうさいしやらく》……

     カンガルウ

 腹の袋の中には子供が一匹はひつてゐる。あれを出してしまつても、まだ英吉利《イギリス》の国旗か何かが、手品《てじな》のやうに出て来はしないか。

     鸚哥《いんこ》

 お前は古い唐画《たうぐわ》の桃の枝に、ぢつと止つてゐるが好《い》い。うつかり羽搏《はばた》きでもしようものなら、体の絵の具が剥《は》げてしまふから。

     猿

 猿よ。お前は一体泣いてゐるのか、それとも亦《また》笑つてゐるのか。お前の顔は悲劇の面《めん》のやうで、同時に又喜劇の面のやうだ。おれの記憶は縁日《えんにち》の猿芝居へおれを連れて行《ゆ》く。桜の釣板《つりいた》、張子《はりこ》の鐘、それからアセチレン瓦斯《ガス》の神経質な光。お前は金紙《きんがみ》の烏帽子《ゑぼし》をかぶつて、緋鹿子《ひがのこ》の振袖をひきずりながら、恐るべく皮肉な白拍子《しらびやうし》花子の役を勤めてゐる。おれの胸に始めて疑団《ぎだん》が萠《きざ》したのは、正にその白拍子たるお前の顔へ、偶然の一瞥《いちべつ》を投げた時だ。お前は一体泣いてゐるのか、それとも亦笑つてゐるのか。猿よ。人間よりもより人間的な猿よ。おれはお前程巧妙なトラジツク・コメデイアンを見た事はない。――おれが心の中でかう呟《つぶや》くと、猿は突然身を躍《をど》らせて、おれの前の金網《かなあみ》にぶら下りながら、癇高《かんだか》い声で問ひ返した。「ではお前は? え、お前のそのしかめ面《つら》は?」

     山椒魚《さんせううを》

 おれがね、お前は一体何物だと、頭に向つて尋ねたら、私《わたし》は山椒魚《さんせううを》ですよと、尻尾《しつぽ》がおれに返事をしたぜ。

     鶴

 県下第一の旅館の玄関、芍薬《しやくやく》と松とを生《い》けた花瓶、伊藤博文《いとうひろぶみ》の大字《だいじ》の額《がく》、それからお前たちつがひの剥製《はくせい》……

     狐

 ふて寝だな。この襟巻め。

     鴛鴦《をしどり》

 胡粉《ごふん》の雪の積つた柳、銀泥《ぎんでい》の黒く焼けた水、その上に浮んでゐる極彩色《ごくさいしき》のお前たち夫婦、――お前たちの画工は伊藤若冲《いとうぢやくちう》だ。

     鹿

 この見事な刀掛《かたなかけ》には、葵《あふひ》の御紋散《ごもんぢ》らしの大小でも恭《うやうや》しく掛けて置くが好《い》い。

     波斯猫《ペルシヤねこ》

 日の光、茉莉花《まつりくわ》の※[#「均のつくり」、第3水準1−14−75]《にほひ》、黄色い絹のキモノ、Fleurs du Mal, それからお前の手ざはり。……

     鸚鵡《あうむ》

 鹿鳴館《ろくめいくわん》には今日《けふ》も舞踏がある。提灯《ちやうちん》の光、白菊《しらぎく》の花、お前はロテイと一しよに踊つた、美しい「みやうごにち」令嬢だ。

     日本犬

 造り物の柳に灯《ひ》入りの月が出る。お前は唯遠くで啼いてゐれば好《い》い。


     南京鼠《ナンキンねづみ》

 上着《うはぎ》は白天鵞絨《しろびろうど》、眼は柘榴石《ざくろいし》、それから手袋は桃色|繻子《じゆす》。――お前たちは皆|可愛《かはい》らしい、支那美人にそつくりだ。後宮《こうきゆう》の佳麗《かれい》三千人と云ふと、おれは何時《いつ》もお前たちが、重なり合つた楼閣の中に、巣を食つた所を想像する。そら、西施《せいし》が芋《いも》の皮を噛《か》じつてゐると、楊貴妃《やうきひ》は一生懸命に車をまはしてゐるぢやないか。

     猩々《しやうじやう》

 あの猩々《しやうじやう》の鼻の上には、金縁《きんぶち》の Pince−nez がかかつてゐる。あれが君に見えるかい? もし見えなければ、今日《けふ》限り、詩を作る事はやめにし給へ。

     鷺《さぎ》

 祥瑞《しよんずゐ》の江村《かうそん》は暮れかかつた。藍色《あゐいろ》の柳、藍色の橋、藍色の茅屋《ばうをく》、藍色の水、藍色の漁人《ぎよじん》、藍色の芦荻《ろてき》。――すべてが稍《やや》黒ずんだ藍色の底に沈んだ時、忽ち白々《しらしら》と舞ひ上《あが》るお前たち三羽の翼の色。――皿の外までも飛び出さなければ好《い》いが。

     河馬《かば》

 挙《こ》す。梁《りよう》の武帝《ぶてい》、達磨大師《だるまだいし》に問ふ。如何《いかん》か是《これ》仏法《ぶつぽう》。磨《ま》云ふ。水中の河馬《かば》。

     ぺングイン

 お前は落魄《らくはく》した給仕人だ。悲しさうなお前の眼の中には、以前勤めてゐたホテルの大食堂が、今も Aurora australis のやうに、輝かしい過去の幻を浮き上らせる事がありはしないか?

     馬

 凩《こがらし》の吹く町の角《かど》には、青銅《からかね》のお前に跨《またが》つた、やはり青銅《からかね》の宮殿下が、寒むさうな往来《わうらい》の老若男女《らうにやくなんによ》を、揚々と見|下《おろ》して御出《おい》でになる。さうしてその宮殿下の、軍服を召した御胸《おむね》には、恐れながら白い鴉《からす》の糞《ふん》が、……

     梟《ふくろふ》

 Brocken 山《ざん》へ! 箒《はうき》に跨《またが》つた婆《ばあ》さんが、赤い月のかかつた空へ、煙突から一文字《いちもんじ》に舞ひ上《あが》る。と、その後《うしろ》から一羽の梟《ふくろふ》が――いや、これは婆さんの飼ひ猫が何時《いつ》の間《ま》にか翼を生やしたのかも知れない。

     金魚

 うす日の光がさして来ると、藻に立つた秋も目立つやうになつた。おれは、――所々|鱗《うろこ》の剥《は》げた金魚は、やがてはこの冷たい水の上に、屍《むくろ》を曝《さら》す事になるのかも知れない。しかしさう云ふ最後の日までは、やはり先の切れた尾を振りながら、あの洒落者《しやれもの》のブラムメルのやうに、悠々と泳いでゐようと思ふ。

     兎

 今昔物語《こんじやくものがたり》巻五《まきのご》、三獣行菩薩道兎焼身語《さんじうぼさつのみちをおこなひうさぎみをやくものがたり》と云ふ 〔Ja_taka〕 の中に、こんなお前の肖像画がある。――「兎は励みの心を発《おこ》して、……耳は高く※[#「やまいだれ+區」、第4水準2−81−70]《くぐ》せにして、目は大きく前の足短く、尻の穴は大きく開いて、東西南北求め歩けども、更に求め得たるものなし……」

     雀

 これは南画《なんぐわ》だ。蕭々《せうせう》と靡《なび》いた竹の上に、消えさうなお前が揚《あが》つてゐる。黒ずんだ印《いん》の字を読んだら、大明方外之人《たいみんはうぐわいのひと》としてあつた。

     麝香獣《じやかうじう》

 梅紅羅《ばいこうら》の軟簾《なんれん》の中に、今夜《こんや》も独り眠つてゐる、淫婦|潘金蓮《はんきんれん》の妖《あや》しい夢。

     獺《かはをそ》

 毎晩廊下へ出して置く、台《だい》の物《もの》の残りがなくなるんですよ。獺《かはをそ》が引いて行《い》くんですつて。昨夜《ゆうべ》も舟で帰る御客が、提灯《ちやうちん》の火を消されました。

     黒豹《くろへう》

 お前は歯の美しい Black Mary だ。南京玉《なんきんだま》の首飾りや毛糸の肩掛を持つて行つてやつたら、さぞ喉《のど》をならして喜ぶだらう。

     蒼鷺《あをさぎ》

 何《なん》でも雨上《あまあが》りの葉柳の※[#「均のつくり」、第3水準1−14−75]《にほひ》が、川面《かはも》を蒸してゐる時だつた。お前はその柳の梢《こずゑ》に、たつた一羽止まつてゐたが、「夕焼け、小焼け、あした天気になあれ。」――そんな唄を謡《うた》つて通《とほ》つた、子供の時のおれを覚えてゐるかい?

     栗鼠《りす》

 亜欧堂田善《あおうだうでんぜん》の銅版画《どうばんぐわ》の森が、時代のついた薄明りの中に、太い枝と枝とを交《か》はしてゐる。その枝の上に蹲《うづくま》つた、可笑《をか》しい程悲しいお前の眼つき……

     鴉《からす》

「今晩は。」「今晩は。この竹藪は風が吹くと、騒々しいのに閉口します。」「ええ、その上月のある晩は、余計《よけい》何《なん》だか落着きませんよ。――時に隠亡堀《おんばうぼり》は如何《いかが》でした?」「隠亡堀ですか? あすこには今日《けふ》も不相変《あひかはらず》、戸板に打ちつけた死骸がありました。」「ああ、あの女の死骸ですか。おや、あなたの嘴《くちばし》には、髪の毛が何本も下《さが》つてゐますよ。」

     ジラフ

 これは玩具《おもちや》だ。黄色い絵の具と黒い絵の具とが、まだ乾かずにべたべたしてゐる。尤《もつと》も人間の子供の玩具《おもちや》には、ちつと大きすぎるかも知れない。さしづめあの小ましやくれた、幼児《ランフアン》基督の玩具には持つて来いだ。

  
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