思われている。しかし茨木童子などは我々の銀座を愛するように朱雀大路《すざくおおじ》を愛する余り、時々そっと羅生門へ姿を露《あら》わしたのではないであろうか? 酒顛童子も大江山の岩屋《いわや》に酒ばかり飲んでいたのは確かである。その女人《にょにん》を奪って行ったというのは――真偽《しんぎ》はしばらく問わないにもしろ、女人自身のいう所に過ぎない。女人自身のいう所をことごとく真実と認めるのは、――わたしはこの二十年来、こういう疑問を抱いている。あの頼光《らいこう》や四天王《してんのう》はいずれも多少気違いじみた女性|崇拝家《すうはいか》ではなかったであろうか?
 鬼は熱帯的風景の中《うち》に琴《こと》を弾《ひ》いたり踊りを踊ったり、古代の詩人の詩を歌ったり、頗《すこぶ》る安穏《あんのん》に暮らしていた。そのまた鬼の妻や娘も機《はた》を織ったり、酒を醸《かも》したり、蘭《らん》の花束を拵《こしら》えたり、我々人間の妻や娘と少しも変らずに暮らしていた。殊にもう髪の白い、牙《きば》の脱《ぬ》けた鬼の母はいつも孫の守《も》りをしながら、我々人間の恐ろしさを話して聞かせなどしていたものである。――

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