ものだ。」
「やっと命を助けて頂いた御主人の大恩《だいおん》さえ忘れるとは怪《け》しからぬ奴等でございます。」
 犬も桃太郎の渋面《じゅうめん》を見ると、口惜《くや》しそうにいつも唸《うな》ったものである。
 その間も寂しい鬼が島の磯《いそ》には、美しい熱帯の月明《つきあか》りを浴びた鬼の若者が五六人、鬼が島の独立を計画するため、椰子《やし》の実に爆弾を仕こんでいた。優《やさ》しい鬼の娘たちに恋をすることさえ忘れたのか、黙々と、しかし嬉しそうに茶碗《ちゃわん》ほどの目の玉を赫《かがや》かせながら。……

        六

 人間の知らない山の奥に雲霧《くもきり》を破った桃の木は今日《こんにち》もなお昔のように、累々《るいるい》と無数の実《み》をつけている。勿論桃太郎を孕《はら》んでいた実だけはとうに谷川を流れ去ってしまった。しかし未来の天才はまだそれらの実の中に何人とも知らず眠っている。あの大きい八咫鴉《やたがらす》は今度はいつこの木の梢《こずえ》へもう一度姿を露《あら》わすであろう? ああ、未来の天才はまだそれらの実の中に何人とも知らず眠っている。……
[#地から1字上げ](大正
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