桃太郎
芥川龍之介
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)桃《もも》の木
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)天地|開闢《かいびゃく》の頃《ころ》おい
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「言+虚」、第4水準2−88−74]
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一
むかし、むかし、大むかし、ある深い山の奥に大きい桃《もも》の木が一本あった。大きいとだけではいい足りないかも知れない。この桃の枝は雲の上にひろがり、この桃の根は大地《だいち》の底の黄泉《よみ》の国にさえ及んでいた。何でも天地|開闢《かいびゃく》の頃《ころ》おい、伊弉諾《いざなぎ》の尊《みこと》は黄最津平阪《よもつひらさか》に八《やっ》つの雷《いかずち》を却《しりぞ》けるため、桃の実《み》を礫《つぶて》に打ったという、――その神代《かみよ》の桃の実はこの木の枝になっていたのである。
この木は世界の夜明以来、一万年に一度花を開き、一万年に一度実をつけていた。花は真紅《しんく》の衣蓋《きぬがさ》に黄金《おうごん》の流蘇《ふさ》を垂らしたようである。実は――実もまた大きいのはいうを待たない。が、それよりも不思議なのはその実は核《さね》のあるところに美しい赤児《あかご》を一人ずつ、おのずから孕《はら》んでいたことである。
むかし、むかし、大むかし、この木は山谷《やまたに》を掩《おお》った枝に、累々《るいるい》と実を綴《つづ》ったまま、静かに日の光りに浴していた。一万年に一度結んだ実は一千年の間は地へ落ちない。しかしある寂しい朝、運命は一羽の八咫鴉《やたがらす》になり、さっとその枝へおろして来た。と思うともう赤みのさした、小さい実を一つ啄《ついば》み落した。実は雲霧《くもきり》の立ち昇《のぼ》る中に遥《はる》か下の谷川へ落ちた。谷川は勿論《もちろん》峯々の間に白い水煙《みずけぶり》をなびかせながら、人間のいる国へ流れていたのである。
この赤児《あかご》を孕《はら》んだ実は深い山の奥を離れた後《のち》、どういう人の手に拾われたか?――それはいまさら話すまでもあるまい。谷川の末にはお婆《ばあ》さんが一人、日本中《にほんじゅう》の子供の知っている通り、柴刈《しばか》りに行ったお爺《じい》さんの着物か何かを洗っていたのである。……
二
桃から生れた桃太郎《ももたろう》は鬼《おに》が島《しま》の征伐《せいばつ》を思い立った。思い立った訣《わけ》はなぜかというと、彼はお爺さんやお婆さんのように、山だの川だの畑だのへ仕事に出るのがいやだったせいである。その話を聞いた老人夫婦は内心この腕白《わんぱく》ものに愛想《あいそ》をつかしていた時だったから、一刻も早く追い出したさに旗《はた》とか太刀《たち》とか陣羽織《じんばおり》とか、出陣の支度《したく》に入用《にゅうよう》のものは云うなり次第に持たせることにした。のみならず途中の兵糧《ひょうろう》には、これも桃太郎の註文《ちゅうもん》通り、黍団子《きびだんご》さえこしらえてやったのである。
桃太郎は意気|揚々《ようよう》と鬼が島征伐の途《と》に上《のぼ》った。すると大きい野良犬《のらいぬ》が一匹、饑《う》えた眼を光らせながら、こう桃太郎へ声をかけた。
「桃太郎さん。桃太郎さん。お腰に下げたのは何でございます?」
「これは日本一《にっぽんいち》の黍団子だ。」
桃太郎は得意そうに返事をした。勿論実際は日本一かどうか、そんなことは彼にも怪《あや》しかったのである。けれども犬は黍団子と聞くと、たちまち彼の側へ歩み寄った。
「一つ下さい。お伴《とも》しましょう。」
桃太郎は咄嗟《とっさ》に算盤《そろばん》を取った。
「一つはやられぬ。半分やろう。」
犬はしばらく強情《ごうじょう》に、「一つ下さい」を繰り返した。しかし桃太郎は何といっても「半分やろう」を撤回《てっかい》しない。こうなればあらゆる商売のように、所詮《しょせん》持たぬものは持ったものの意志に服従するばかりである。犬もとうとう嘆息《たんそく》しながら、黍団子を半分貰う代りに、桃太郎の伴《とも》をすることになった。
桃太郎はその後《のち》犬のほかにも、やはり黍団子の半分を餌食《えじき》に、猿《さる》や雉《きじ》を家来《けらい》にした。しかし彼等は残念ながら、あまり仲《なか》の好《い》い間がらではない。丈夫な牙《きば》を持った犬は意気地《いくじ》のない猿を莫迦《ばか》にする。黍団子の勘定《かんじょう》に素早《すばや》い猿はもっともらしい雉を莫迦にする。地震学などにも通じた雉は頭の鈍《にぶ》い犬を莫迦にする。――こういういがみ合
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