交《まじ》りは少いと思ふ。
問 それでは、東洋種の作家の作品の要素をお伺ひしたいのです。
答 それは難問だね。ここに云ふ東洋種と云ふ意味は、西洋種の交《まじ》つて居ないと云ふ事だ。即ち消極的に云つたものに過ぎない。それを積極的にどう云ふ特色のあるものが、東洋種になるかと云ふ事になると、三考も四考もしなければならない。それはお互ひに面倒だし、まあ見合せる事にしよう。ただ徳田秋声氏や葛西善蔵氏の作品には、官能的にも思想的にも、西洋人にかぶれたと云ふ痕跡《こんせき》が少い。それ丈《だ》けは安全に云ひ得られるかと思ふ。
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問 風流《ふうりう》に就いて御《ご》意見を。
答 風流と云ふ事をどう解釈するかは、文人墨客《ぶんじんぼくかく》の風流は、先づ日永《ひなが》の遊戯である。南画南画と云ふけれど、二三の天才をのぞいた外《ほか》は、大部分下らないものと云つて差支《さしつか》へない。僕はああ云ふ風流を弄《もてあそ》びたくない。僕の尊敬する東洋趣味は、(前の東洋種と混合してはいけない)人麻呂《ひとまろ》の歌を生み、玉
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