ル》にや違ひない。」
Hはかう云つて、吸物椀《すゐものわん》を下に置くと、松の内にも似合はしくない、寂しさうな顔をしながら、仔細《しさい》らしく鼻眼鏡をかけ直した。
漱石山房《そうせきさんばう》の秋
夜寒《よさむ》の細い往来《わうらい》を爪先上《つまさきあが》りに上《あが》つて行《ゆ》くと、古ぼけた板屋根の門の前へ出る。門には電燈がともつてゐるが、柱に掲《かか》げた標札《へうさつ》の如きは、殆《ほとん》ど有無《うむ》さへも判然しない。門をくぐると砂利《じやり》が敷いてあつて、その又砂利の上には庭樹の落葉が紛々《ふんぷん》として乱れてゐる。
砂利と落葉とを踏んで玄関へ来ると、これも亦《また》古ぼけた格子戸《かうしど》の外《ほか》は、壁と云はず壁板《したみ》と云はず、悉《ことごと》く蔦《つた》に蔽《おほ》はれてゐる。だから案内を請はうと思つたら、まづその蔦の枯葉をがさつかせて、呼鈴《ベル》の鈕《ボタン》を探さねばならぬ。それでもやつと呼鈴《ベル》を押すと、明りのさしてゐる障子が開いて、束髪《そくはつ》に結《ゆ》つた女中が一人《ひとり》、すぐに格子戸の掛け金を外《はづ》し
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