又机の向うには座蒲団《ざぶとん》が二枚重ねてある。銅印《どういん》が一つ、石印《せきいん》が二《ふた》つ三《み》つ、ペン皿に代へた竹の茶箕《ちやき》、その中の万年筆、それから玉《ぎよく》の文鎮《ぶんちん》を置いた一綴《ひとつづ》りの原稿用紙――机の上にはこの外《ほか》に老眼鏡《らうがんきやう》が載せてある事も珍しくない。その真上《まうへ》には電燈が煌々《くわうくわう》と光を放つてゐる。傍《かたはら》には瀬戸火鉢《せとひばち》の鉄瓶が虫の啼《な》くやうに沸《たぎ》つてゐる。もし夜寒《よさむ》が甚しければ、少し離れた瓦斯煖炉《ガスだんろ》にも赤々と火が動いてゐる。さうしてその机の後《うしろ》、二枚重ねた座蒲団の上には、何処《どこ》か獅子《しし》を想はせる、背《せい》の低い半白《はんぱく》の老人が、或は手紙の筆を走らせたり、或は唐本《たうほん》の詩集を飜《ひるがへ》したりしながら、端然《たんぜん》と独り坐つてゐる。……
漱石山房《そうせきさんばう》の秋の夜《よ》は、かう云ふ蕭條《せうでう》たるものであつた。
底本:「筑摩全集類聚 芥川龍之介全集第四巻」筑摩書房
1971(昭和4
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