その日自分の書斎には、梅の花が活《い》けてあつた。そこで我々は梅の話をした。が、千枝《ちえ》ちやんと云ふその女の子は、この間中《あひだぢう》書斎の額《がく》や掛物《かけもの》を上眼《うはめ》でぢろぢろ眺めながら、退屈さうに側に坐つてゐた。
 暫《しばら》くして自分は千枝ちやんが可哀《かはい》さうになつたから、奥さんに「もうあつちへ行つて、母とでも話してお出でなさい」と云つた。母なら奥さんと話しながら、しかも子供を退屈させない丈《だけ》の手腕があると思つたからである。すると奥さんは懐《ふところ》から鏡《かがみ》を出して、それを千枝ちやんに渡しながら「この子はかうやつて置きさへすれば、決して退屈しないんです」と云つた。
 何故《なぜ》だらうと思つて聞いて見ると、この奥さんの良人《をつと》が逗子《づし》の別荘に病《やまい》を養つてゐた時分、奥さんは千枝《ちえ》ちやんをつれて、一週間に二三度|宛《づつ》東京逗子間を往復したが、千枝ちやんは汽車の中でその度に退屈し切つてしまふ。のみならず、その退屈を紛《まぎ》らしたい一心で、勝手な悪戯《いたづら》をして仕方がない。現に或時はよその御隠居《ごい
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