にん》服部平四郎《はっとりへいしろう》と云えるものの怒《いかり》を買い、あわや斬《き》りも捨てられん」とした。平四郎は当時|文蔵《ぶんぞう》と云う、柏原《かしわばら》の博徒《ばくと》のもとに用心棒をしていた剣客《けんかく》である。もっともこの「ふとしたこと」には二つ三《み》つ異説のない訣《わけ》でもない。
 まず田代玄甫《たしろげんぽ》の書いた「旅硯《たびすずり》」の中の文によれば、伝吉は平四郎の髷《まげ》ぶしへ凧《たこ》をひっかけたと云うことである。
 なおまた伝吉の墓のある笹山村の慈照寺《じしょうじ》(浄土宗《じょうどしゅう》)は「孝子伝吉物語」と云う木版の小冊子《しょうさっし》を頒《わか》っている。この「伝吉物語」によれば伝吉は何もした訣ではない。ただその釣《つり》をしている所へ偶然来かかった平四郎に釣道具を奪われようとしただけである。
 最後に小泉孤松《こいずみこしょう》の書いた「農家《のうか》義人伝《ぎじんでん》」の中の一篇によれば、平四郎は伝吉の牽《ひ》いていた馬に泥田《どろた》へ蹴落《けおと》されたと云うことである。(註三)
 とにかく平四郎は腹立ちまぎれに伝吉へ斬りかけ
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