参りません。
「良秀。今宵はその方の望み通り、車に火をかけて見せて遣はさう。」
 大殿様はかう仰有つて、御側の者たちの方を流《なが》し眄《め》に御覧になりました。その時何か大殿様と御側の誰彼との間には、意味ありげな微笑が交されたやうにも見うけましたが、これは或は私の気のせゐかも分りません。すると良秀は畏《おそ》る畏《おそ》る頭を挙げて御縁の上を仰いだらしうございますが、やはり何も申し上げずに控へて居ります。
「よう見い。それは予が日頃乗る車ぢや。その方も覚えがあらう。――予はその車にこれから火をかけて、目のあたりに炎熱地獄を現ぜさせる心算《つもり》ぢやが。」
 大殿様は又言を御止めになつて、御側の者たちに※[#「目+旬」、第3水準1−88−80]《めくば》せをなさいました。それから急に苦々しい御調子で、「その内には罪人の女房が一人、縛《いまし》めた儘、乗せてある。されば車に火をかけたら、必定その女めは肉を焼き骨を焦して、四苦八苦の最期を遂げるであらう。その方が屏風を仕上げるには、又とないよい手本ぢや。雪のやうな肌が燃え爛《たゞ》れるのを見のがすな。黒髪が火の粉になつて、舞ひ上るさまもよ
前へ 次へ
全60ページ中50ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
芥川 竜之介 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング