ね/″\御云ひつけになりました地獄変の屏風でございますが、私も日夜に丹誠を抽《ぬき》んでて、筆を執りました甲斐が見えまして、もはやあらましは出来上つたのも同前でございまする。」
「それは目出度い。予も満足ぢや。」
 しかしかう仰有《おつしや》る大殿様の御声には、何故《なぜ》か妙に力の無い、張合のぬけた所がございました。
「いえ、それが一向目出度くはござりませぬ。」良秀は、稍腹立しさうな容子で、ぢつと眼を伏せながら、「あらましは出来上りましたが、唯一つ、今以て私には描けぬ所がございまする。」
「なに、描けぬ所がある?」
「さやうでございまする。私は総じて、見たものでなければ描けませぬ。よし描けても、得心が参りませぬ。それでは描けぬも同じ事でございませぬか。」
 これを御聞きになると、大殿様の御顔には、嘲るやうな御微笑が浮びました。
「では地獄変の屏風を描かうとすれば、地獄を見なければなるまいな。」
「さやうでござりまする。が、私は先年大火事がございました時に、炎熱地獄の猛火《まうくわ》にもまがふ火の手を、眼のあたりに眺めました。「よぢり不動」の火焔を描きましたのも、実はあの火事に遇つたか
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