曲つて、夜目にもうす白い御池の水が枝ぶりのやさしい松の向うにひろ/″\と見渡せる、丁度そこ迄参つた時の事でございます。どこか近くの部屋の中で人の争つてゐるらしいけはひが、慌《あわたゞ》しく、又妙にひつそりと私の耳を脅しました。あたりはどこも森《しん》と静まり返つて、月明りとも靄《もや》ともつかないものゝ中で、魚の跳る音がする外は、話し声一つ聞えません。そこへこの物音でございますから。私は思はず立止つて、もし狼藉者《らうぜきもの》でゞもあつたなら、目にもの見せてくれようと、そつとその遣戸の外へ、息をひそめながら身をよせました。

       十三

 所が猿は私のやり方がまだるかつたのでございませう。良秀はさもさももどかしさうに、二三度私の足のまはりを駈けまはつたと思ひますと、まるで咽《のど》を絞められたやうな声で啼きながら、いきなり私の肩のあたりへ一足飛に飛び上りました。私は思はず頸《うなじ》を反らせて、その爪にかけられまいとする、猿は又|水干《すゐかん》の袖にかじりついて、私の体から辷《すべ》り落ちまいとする、――その拍子に、私はわれ知らず二足三足よろめいて、その遣り戸へ後ざまに、
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