/\臆測を致したものがございますが、中頃から、なにあれは大殿様が御意に従はせようとしていらつしやるのだと云ふ評判が立ち始めて、夫《それ》からは誰も忘れた様に、ぱつたりあの娘の噂をしなくなつて了ひました。
丁度その頃の事でございませう。或夜、更《かう》が闌《た》けてから、私が独り御廊下を通りかゝりますと、あの猿の良秀がいきなりどこからか飛んで参りまして、私の袴の裾を頻りにひつぱるのでございます、確、もう梅の匂でも致しさうな、うすい月の光のさしてゐる、暖い夜でございましたが、其明りですかして見ますと、猿はまつ白な歯をむき出しながら、鼻の先へ皺をよせて、気が違はないばかりにけたゝましく啼き立てゝゐるではございませんか。私は気味の悪いのが三分と、新しい袴をひつぱられる腹立たしさが七分とで、最初は猿を蹴放して、その儘通りすぎようかとも思ひましたが、又思ひ返して見ますと、前にこの猿を折檻して、若殿様の御不興を受けた侍《さむらひ》の例もございます。それに猿の振舞が、どうも唯事とは思はれません。そこでとう/\私も思ひ切つて、そのひつぱる方へ五六間歩くともなく歩いて参りました。
すると御廊下が一曲り
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