地獄変
芥川龍之介

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)大殿様《おほとのさま》の

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)格別|御障《おさは》りが

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「壘」の「土」に代えて「糸」、第3水準1-90-24]々《るゐ/\》と

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)夜な/\現はれる
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
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       一

 堀川の大殿様《おほとのさま》のやうな方は、これまでは固《もと》より、後の世には恐らく二人とはいらつしやいますまい。噂に聞きますと、あの方の御誕生になる前には、大威徳明王《だいゐとくみやうおう》の御姿が御母君《おんはゝぎみ》の夢枕にお立ちになつたとか申す事でございますが、兎《と》に角《かく》御生れつきから、並々の人間とは御違ひになつてゐたやうでございます。でございますから、あの方の為《な》さいました事には、一つとして私どもの意表に出てゐないものはございません。早い話が堀川のお邸の御規模を拝見致しましても、壮大と申しませうか、豪放と申しませうか、到底《たうてい》私どもの凡慮には及ばない、思ひ切つた所があるやうでございます。中にはまた、そこを色々とあげつらつて大殿様の御性行を始皇帝《しくわうてい》や煬帝《やうだい》に比べるものもございますが、それは諺《ことわざ》に云ふ群盲《ぐんもう》の象を撫《な》でるやうなものでもございませうか。あの方の御思召《おおぼしめし》は、決してそのやうに御自分ばかり、栄耀栄華をなさらうと申すのではございません。それよりはもつと下々の事まで御考へになる、云はば天下と共に楽しむとでも申しさうな、大腹中《だいふくちう》の御器量がございました。
 それでございますから、二条大宮の百鬼夜行《ひやつきやぎやう》に御遇ひになつても、格別|御障《おさは》りがなかつたのでございませう。又|陸奥《みちのく》の塩竈《しほがま》の景色を写したので名高いあの東三条の河原院に、夜な/\現はれると云ふ噂のあつた融《とほる》の左大臣の霊でさへ、大殿様のお叱りを受けては、姿を消したのに相違ございますまい。かやうな御威光でござ
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