三〇 大水
僕は大水にもたびたび出合った。が、幸いどの大水も床の上へ来たことは一度もなかった。僕は母や伯母《おば》などが濁り水の中に二尺指《にしゃくざ》しを立てて、一分《いちぶ》殖《ふ》えたの二分殖えたのと騒いでいたのを覚えている。それから夜は目を覚《さ》ますと、絶えずどこかの半鐘が鳴りつづけていたのを覚えている。
三一 答案
確か小学校の二、三年生のころ、僕らの先生は僕らの机に耳の青い藁半紙《わらばんし》を配り、それへ「かわいと思うもの」と「美しいと思うもの」とを書けと言った。僕は象を「かわいと思うもの」にし、雲を「美しいと思うもの」にした。それは僕には真実だった。が、僕の答案はあいにく先生には気に入らなかった。
「雲などはどこが美しい? 象もただ大きいばかりじゃないか?」
先生はこうたしなめたのち、僕の答案へ×印をつけた。
三二 加藤清正
加藤清正《かとうきよまさ》は相生町《あいおいちょう》二丁目の横町に住んでいた。と言ってももちろん鎧武者《よろいむしゃ》ではない。ごく小さい桶屋《おけや》だった。しかし主人は標札によれば、加藤清正に違い
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