画の写真版はいまだに何枚か残っている。僕は近ごろ何かのついでにそれらの写真版に目を通した。するとそれらの一枚は、樹下に金髪の美人を立たせたウイスキイの会社の広告画だった。

     二八 水泳

 僕の水泳を習ったのは日本水泳協会だった。水泳協会に通ったのは作家の中では僕ばかりではない。永井荷風《ながいかふう》氏や谷崎《たにざき》潤一郎氏もやはりそこへ通ったはずである。当時は水泳協会も芦《あし》の茂った中洲《なかず》から安田の屋敷前へ移っていた。僕はそこへ二、三人の同級の友達と通って行った。清水昌彦《しみずまさひこ》もその一人だった。
「僕は誰《だれ》にもわかるまいと思って水の中でウンコをしたら、すぐに浮いたんでびっくりしてしまった。ウンコは水よりも軽いもんなんだね」
 こういうことを話した清水も海軍将校になったのち、一昨年《おととし》(大正十三年)の春に故人になった。僕はその二、三週間前に転地先の三島からよこした清水の手紙を覚えている。
「これは僕の君に上げる最後の手紙になるだろうと思う。僕は喉頭《こうとう》結核の上に腸結核も併発している。妻は僕と同じ病気に罹《かか》り僕よりも先に
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