載せてあった。墓はあの通り白い大理石で、「吾人は須《すべから》く現代を超越せざるべからず」が、「高山林次郎《たかやまりんじろう》」という名といっしょに、あざやかな鑿《のみ》の痕《あと》を残している。自分はそのなめらかな石の面《おもて》に、ちらばっている菫《すみれ》の花束をいかにも樗牛にふさわしいたむけの花のようにながめて来た。その後、樗牛の墓というと、必ず自分の記憶には、この雨にぬれている菫の紫が四角な大理石といっしょに髣髴《ほうふつ》されたものである。これはさらに自分の思い出したくないことであるが、おそらくその時の自分は、いかにも偉大な思想家の墓前を訪《と》うらしい、思わせぶりな感傷に充《み》ち満ちていたことだろうと思う。ことによるとそのあとで、「竜華寺《りゅうげじ》に詣《もう》ずるの記」くらいは、惻々《そくそく》たる哀怨《あいえん》の辞をつらねて、書いたことがあるかもしれない。
 ところがこのごろになって、あの近所を通ったついでに、ふと樗牛のことを思い出して、また竜華寺へ出かけて行った。その日は夏の晴天で、脂臭《やにくさ》い蘇鉄《そてつ》のにおいが寺の庭に充満しているころだったが、例の急な石段を登って、山の上へ出てみると、ほとんど意外だったくらい、あの大理石の墓がくだらなく見えた。どうも貧弱で、いやに小さくまとまっていて、その上またはなはだ軽佻浮薄《けいちょうふはく》な趣がある。これじゃ頼もしくないと思って、雑木《ぞうき》の涼しい影が落ちている下へ、くたびれた尻《しり》をすえたまま、ややしばらく見ていたが、やはりくだらないという心もちは取消しようがない。第一、そばに立っている日本風のお堂との対照ばかりでも、悲惨なこっけいの感じが先にたってしまう。その上荒れはてた周囲の風物が、四方からこの墓の威厳を害している。一山《いっさん》の蝉《せみ》の声の中に埋《うも》れながら、自分は昔、春雨にぬれているこの墓を見て、感に堪えたということがなんだかうそのような心もちがした。と同時にまた、なんだか地下の樗牛に対してきのどくなような心もちがした。不二山《ふじさん》と、大蘇鉄《だいそてつ》と、そうしてこの大理石の墓と――自分は十年ぶりで「わが袖の記」を読んだのとは、全く反対な索漠《さくばく》さを感じて、匆々《そうそう》竜華寺の門をあとにした。爾来《じらい》今日《こんにち》に至っても
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