しき》もない。そこで、介錯《かいしゃく》に立った水野の家来吉田|弥三左衛門《やそうざえもん》が、止むを得ず後《うしろ》からその首をうち落した。うち落したと云っても、喉《のど》の皮|一重《ひとえ》はのこっている。弥三左衛門は、その首を手にとって、下から検使の役人に見せた。頬骨《ほおぼね》の高い、皮膚の黄ばんだ、いたいたしい首である。眼は勿論つぶっていない。
検使は、これを見ると、血のにおいを嗅《か》ぎながら、満足そうに、「見事」と声をかけた。
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同日、田中宇左衛門は、板倉式部の屋敷で、縛り首に処せられた。これは「修理病気に付、禁足申付候様にと屹度《きっと》、板倉佐渡守兼ねて申渡置候処、自身の計らいにて登城させ候故、かかる凶事出来《きょうじしゅったい》、七千石断絶に及び候段、言語道断の不届者《ふとどきもの》」という罪状である。
板倉|周防守《すおうのかみ》、同式部、同佐渡守、酒井|左衛門尉《さえもんのじょう》、松平|右近将監《うこんしょうげん》等の一族縁者が、遠慮を仰せつかったのは云うまでもない。そのほか、越中守を見捨てて逃げた黒木|閑斎《かんさい》は、扶持《ふち》を召上げられた上、追放になった。
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修理《しゅり》の刃傷《にんじょう》は、恐らく過失であろう。細川家の九曜《くよう》の星と、板倉家の九曜の巴と衣類の紋所《もんどころ》が似ているために、修理は、佐渡守を刺《さ》そうとして、誤って越中守を害したのである。以前、毛利主水正《もうりもんどのしょう》を、水野|隼人正《はやとのしょう》が斬ったのも、やはりこの人違いであった。殊に、手水所《ちょうずどころ》のような、うす暗い所では、こう云う間違いも、起りやすい。――これが当時の定評であった。
が、板倉佐渡守だけは、この定評をよろこばない。彼は、この話が出ると、いつも苦々しげに、こう云った。
「佐渡は、修理に刃傷されるような覚えは、毛頭《もうとう》ない。まして、あの乱心者のした事じゃ。大方《おおかた》、何と云う事もなく、肥後侯を斬ったのであろう。人違などとは、迷惑至極な臆測じゃ。その証拠には、大目付の前へ出ても、修理は、時鳥《ほととぎす》がどうやら云うていたそうではないか。されば、時鳥じゃと思って、斬ったのかも知れぬ。」
[#地から1字上げ](大正六年二月)
底本:「芥川龍之介全集1」ちくま文庫、筑摩書房
1986(昭和61)年9月24日第1刷発行
1995(平成7)年10月5日第13刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房
1971(昭和46)年3月〜1971(昭和46)年11月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:j.utiyama
校正:かとうかおり
1998年12月6日公開
2004年3月7日修正
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