などと呼ばれていたのも、完《まった》くこの忠諫《ちゅうかん》を進める所から来た渾名《あだな》である。
林右衛門は、修理の逆上が眼に見えて、進み出して以来、夜の目も寝ないくらい、主家のために、心を煩《わずら》わした。――既に病気が本復した以上、修理は近日中に病緩《びょうかん》の御礼として、登城《とじょう》しなければならない筈である。所が、この逆上では、登城の際、附合《つきあい》の諸大名、座席同列の旗本仲間へ、どんな無礼を働くか知れたものではない。万一それから刃傷沙汰《にんじょうざた》にでもなった日には、板倉家七千石は、そのまま「お取りつぶし」になってしまう。殷鑑《いんかん》は遠からず、堀田稲葉《ほったいなば》の喧嘩《けんか》にあるではないか。
林右衛門は、こう思うと、居ても立っても、いられないような心もちがした。しかし彼に云わせると、逆上は「体の病」ではない。全く「心の病」である――彼はそこで、放肆《ほうし》を諫《いさ》めたり、奢侈《しゃし》を諫めたりするのと同じように、敢然として、修理の神経衰弱を諫めようとした。
だから、林右衛門は、爾来《じらい》、機会さえあれば修理に苦諫《くか
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