ん》を進めた。が、修理の逆上は、少しも鎮まるけはいがない。寧《むし》ろ、諫《いさ》めれば諫めるほど、焦《じ》れれば焦れるほど、眼に見えて、進んで来る。現に一度などは、危く林右衛門を手討ちにさえ、しようとした。「主《しゅう》を主《しゅう》とも思わぬ奴じゃ。本家の手前さえなくば、切ってすてようものを。」――そう云う修理の眼の中にあったものは、既に怒りばかりではない。林右衛門は、そこに、また消し難い憎しみの色をも、読んだのである。
その中《うち》に、主従の間に纏綿《てんめん》する感情は、林右衛門の重ねる苦諫に従って、いつとなく荒《すさ》んで来た。と云うのは、独り修理が林右衛門を憎むようになったと云うばかりではない。林右衛門の心にもまた、知らず知らず、修理に対する憎しみが、芽をふいて来た事を云うのである。勿論、彼は、この憎しみを意識してはいなかった。少くとも、最後の一刻を除いて、修理に対する彼の忠心は、終始変らないものと信じていた。「君《きみ》君為《きみた》らざれば、臣臣為らず」――これは孟子《もうし》の「道」だったばかりではない。その後《うしろ》には、人間の自然の「道」がある。しかし、林右
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