むね》の内意を受けて、手負《てお》いと披露《ひろう》したまま駕籠《かご》で中の口から、平川口へ出て引きとらせた。公《おおやけ》に死去の届が出たのは、二十一日の事である。
修理《しゅり》は、越中守が引きとった後《あと》で、すぐに水野|監物《けんもつ》に預けられた。これも中の口から、平川口へ、青網《あおあみ》をかけた駕籠《かご》で出たのである。駕籠のまわりは水野家の足軽が五十人、一様に新しい柿の帷子《かたびら》を着、新しい白の股引をはいて、新しい棒をつきながら、警固《けいご》した。――この行列は、監物《けんもつ》の日頃不意に備える手配《てくばり》が、行きとどいていた証拠として、当時のほめ物になったそうである。
それから七日目の二十二日に、大目付石河土佐守が、上使《じょうし》に立った。上使の趣は、「其方儀乱心したとは申しながら、細川越中守|手疵養生《てきずようじょう》不相叶《あいかなわず》致死去《しきょいたし》候に付、水野監物宅にて切腹|被申付《もうしつけらるる》者也」と云うのである。
修理は、上使の前で、短刀を法の如くさし出されたが、茫然と手を膝の上に重ねたまま、とろうとする気色《け
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