ならなかったらしい。
 それが、翌日になると、また不吉《ふきつ》な前兆が、加わった。――十五日には、いつも越中守自身、麻上下《あさがみしも》に着換えてから、八幡大菩薩に、神酒《みき》を備えるのが慣例になっている。ところが、その日は、小姓《こしょう》の手から神酒《みき》を入れた瓶子《へいし》を二つ、三宝《さんぼう》へのせたまま受取って、それを神前へ備えようとすると、どうした拍子か瓶子は二つとも倒れて、神酒が外へこぼれてしまった。その時は、さすがに一同、思わず顔色を変えたと云う事である。

       ―――――――――――――――――――――――――

 翌日、越中守は登城すると、御坊主《おぼうず》田代祐悦《たしろゆうえつ》が供をして、まず、大広間へ通った。が、やがて、大便を催したので、今度は御坊主黒木|閑斎《かんさい》をつれて、湯呑み所際《じょぎわ》の厠《かわや》へはいって、用を足《た》した。さて、厠を出て、うすぐらい手水所《ちょうずどころ》で手を洗っていると突然|後《うしろ》から、誰とも知れず、声をかけて、斬りつけたものがある。驚いて、振り返ると、その拍子にまた二の太刀が、すかさず
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