事のない屋敷である。第二に、五月上旬、門へ打つ守り札を、魚籃《ぎょらん》の愛染院《あいぜんいん》から奉ったのを見ると、御武運長久|御息災《ごそくさい》とある可き所に災の字が書いてない。これは、上野|宿坊《しゅくぼう》の院代《いんだい》へ問い合せた上、早速愛染院に書き直させた。第三に、八月上旬、屋敷の広間あたりから、夜な夜な大きな怪火が出て、芝の方へ飛んで行ったと云う。
そのほか、八月十四日の昼には、天文に通じている家来の才木茂右衛門《さいきもえもん》と云う男が目付《めつけ》へ来て、「明十五日は、殿の御身《おんみ》に大変があるかも知れませぬ。昨夜《さくや》天文を見ますと、将星が落ちそうになって居ります。どうか御慎み第一に、御他出なぞなさいませんよう。」と、こう云った。目付は、元来余り天文なぞに信を措《お》いていない。が、日頃この男の予言は、主人が尊敬しているので、取あえず近習《きんじゅ》の者に話して、その旨を越中守の耳へ入れた。そこで、十五日に催す能狂言《のうきょうげん》とか、登城の帰りに客に行くとか云う事は、見合せる事になったが、御奉公の一つと云う廉《かど》で、出仕だけは止《や》めに
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