は、殿中で、何の恩怨《おんえん》もない。肥後国熊本の城主、細川越中守宗教《ほそかわえっちゅうのかみむねのり》を殺害《せつがい》した。その顛末《てんまつ》は、こうである。

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 細川家は、諸侯の中でも、すぐれて、武備に富んだ大名である。元姫君《もとひめぎみ》と云われた宗教《むねのり》の内室さえ、武芸の道には明《あかる》かった。まして宗教の嗜《たしな》みに、疎《おろそか》な所などのあるべき筈はない。それが、「三斎《さんさい》の末なればこそ細川は、二歳《にさい》に斬《き》られ、五歳《ごさい》ごとなる。」と諷《うた》われるような死を遂げたのは、完《まった》く時の運であろう。
 そう云えば、細川家には、この凶変《きょうへん》の起る前兆が、後《のち》になって考えれば、幾つもあった。――第一に、その年三月中旬、品川|伊佐羅子《いさらご》の上屋敷《かみやしき》が、火事で焼けた。これは、邸内に妙見《みょうけん》大菩薩があって、その神前の水吹石《みずふきいし》と云う石が、火災のある毎《ごと》に水を吹くので、未嘗《いまだかつて》、焼けたと云う
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