来る。――彼は涙の中《なか》に、佐渡守の前で云い切った語《ことば》を、再びありありと思い浮べた。
「よろしゅうございまする。佐渡守様が何とおっしゃりましょうとも、万一の場合には、宇左衛門|皺腹《しわばら》を仕《つかまつ》れば、すむ事でございまする。私《わたくし》一人《ひとり》の粗忽《そこつ》にして、きっと御登城おさせ申しましょう。」
 これを聞くと、修理の顔は、急に別人の如く喜びにかがやいた。その変り方には、役者のような巧みさがある。がまた、役者にないような自然さもある。――彼は、突然調子の外《はず》れた笑い声を洩《も》らした。
「おお、許してくれるか。忝《かたじけな》い。忝いぞよ。」
 そう云って、彼は嬉しそうに、左右を顧みた。
「皆のもの、よう聞け。宇左衛門は、登城を許してくれたぞ。」
 人払いをした居間には、彼と宇左衛門のほかに誰もいない。皆のもの――宇左衛門は、気づかわしそうに膝《ひざ》を進めて、行燈《あんどう》の火影《ほかげ》に恐る恐る、修理の眼の中を窺《うかが》った。

     三 刃傷《にんじょう》

 延享《えんきょう》四年八月十五日の朝、五つ時過ぎに、修理《しゅり》
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