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「主《しゅう》」の意に従えば、「家」が危《あやう》い。「家」を立てようとすれば、「主」の意に悖《もと》る事になる。嘗《かつて》は、林右衛門も、この苦境に陥っていた。が、彼には「家」のために「主」を捨てる勇気がある。と云うよりは、むしろ、始からそれほど「主」を大事に思っていない。だから、彼は、容易《たやす》く、「家」のために「主」を犠牲《ぎせい》にした。
しかし、自分には、それが出来ない。自分は、「家」の利害だけを計るには、余りに「主《しゅう》」に親しみすぎている。「家」のために、ただ、「家」と云う名のために、どうして、現在の「主」を無理に隠居などさせられよう。自分の眼から見れば、今の修理も、破魔弓《はまゆみ》こそ持たないものの、幼少の修理と変りがない。自分が絵解《えど》きをした絵本、自分が手をとって習わせた難波津《なにわづ》の歌、それから、自分が尾をつけた紙鳶《いかのぼり》――そう云う物も、まざまざと、自分の記憶に残っている。……
そうかと云って、「主《しゅう》」をそのままにして置けば、独り「家」が亡びるだけではない。「主」自身にも凶事《きょうじ》が起りそうである。利害
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